久屋大通公園には、民家や学校などが密集していた
見せてくれたのは、戦前の栄周辺の地図。

(若狭)「焼け野原になっている場所は、この辺り?」
(大澤社長)「こっち、この辺り」
大澤さんが指さしたのは、松坂屋の東側、黄色の部分。

今のどの辺りかというと…?
(大澤社長)「久屋大通」
(若狭)「よく見ると苗字が書いてあるということは、今の久屋大通公園の辺りは民家だった?」

現在の写真と照らし合わせると、元々は民家や学校などが密集していた場所に、久屋大通が作られたことが分かる。
栄の街並みを映した戦前の写真。
名古屋城の城下町として栄え、そこには多くの人々の営みが。
