シリーズでお伝えしている「戦後80年 つなぐ宮崎の記憶」。
3回目は、太平洋戦争末期に300人以上が犠牲になったとされる延岡大空襲についてです。
空襲から80年、おびただしい数の焼夷弾が降り注ぐ中、生き延びた人たちの証言を取材しました。
1945年6月29日午前1時過ぎ 117機のB-29

1945年6月29日、アメリカ軍のB-29爆撃機が延岡市の街を襲いました。
時間は、市民が寝静まった午前1時過ぎ。
117機のB-29が、およそ2時間にわたって照明弾53発、焼夷弾およそ1万3000発を投下。
延岡市の中心部は一瞬のうちに火の海となりました。
