導いた答えは…
自問自答する日々が続いた。帰りたいとはいえ、帰れる保証など全くなかった。ならば、日本に別れを告げ、このシベリアの地で、仕事上での地位を向上させ、新しい生活基盤を築くことを選択するべきではないか。日本での未来を展望することなどできない中、日本、ソビエト両国の間で葛藤が芽生えた。しかし、春男さんの心の奥底には揺らがざる祖国への思いがあった。
悩みに悩んだが、結果は最初から決まっていた。春男さんはひとつの答えを導き出し、ターニャの父親に思いを告げた。
「私は日本へ帰りたい。私は日本人だから」

その答えを聞いた父親は「やはりそうか」と肩を落としたが、同時に春男らしいと呟いた。ちょうどその頃、ターニャ親子にもある転機が訪れようとしていた。それは春男さんとの永遠の別れを暗示するような通達だった。
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【CBCテレビ論説室長 大石邦彦】