
(公演の様子)
「和賀町の部落から部落へ通ずる道端に、道路に面して戦死者の墓石が一つ建っています。一人ムスコの千三さんのため、母親の髙橋セキさんが建てたものだということです。『牛や犬の死んだようにしたくねえと思って、長い間に少しずつ貯めたお金で墓石作ってやったス。オレ死ねば、戦死した千三を思い出してくれる人もなく、忘れられてしまうべと思って、人通りの多い道端さ建てだス。』」

地域の戦争体験をまとめた資料の朗読をその地域で行うという今回の取り組み。終演後には出演者と観客がそれぞれが持つ戦争の記憶や伝承について語り合いました。

(IBC・長谷川拳杜アナウンサー)
「私が生まれ育ったのが岩手で、この岩手でどんなことが行われていたのか、あまり今まで知らなかったんですよね」

(参加した女性は)
「5歳の時でした。頭の上へ飛行機が飛び歩いた。後藤野のそばでしたので。大体、父親が戦争の話をすると怒ったんですよ。辛かったんだろうなっと。姉が生まれた時に父親が戦争に行ってて、その時に(姉が)亡くなったんですよ。だからセピア色の写真、ずっと持っていたみたいで」

(和賀地区自治協議会 早川英信会長)
「未亡人の方々、いろんなご苦労をされて、そういう生の声があるということを和賀の皆さまに改めて知っていただいた。きょう中学生の皆さんもいらしていたので、後世にもつないでいけるのではないかと思って、大変意義深い会だったと思います」

地域に残る戦争の記憶も、戦後80年という時の中で着実に風化が進んでいます。
それをどのような形で伝承していくのかが今、問われています。