爆心地に近い浦上天主堂ではきょう、「原爆で失われた鐘」が復元され、80年ぶりに二つの鐘の音が鳴り響きました。鐘を寄贈したのはアメリカの信徒たちでした。

被爆80年を迎えた長崎。爆心地からおよそ500メートルにある浦上天主堂の周辺には、80年ぶりに復活する「二つの鐘の音」を聞こうと市民らが集まりました。

ジェームズ・F・ノーラン・ジュニアさん
「私にとっても、寄付した640人の皆さんにとっても、このプロジェクトに参加できたことは本当に光栄でした」

今から100年前、迫害から解放された信徒たちが完成させた浦上天主堂。二つの塔につるされた大小の鐘が荘厳なハーモニーを響かせていたと言います。

しかし、1945年8月9日、アメリカ軍が投下した原爆で天主堂は崩壊。大鐘は吹き飛ばされて瓦礫に埋まり、小さい方の鐘は鐘楼と共に焼け落ち割れてしまいました。

信者の手で掘り出された大鐘。その年のクリスマスの晩から鳴らされ、被爆した信者らを慰めてきました。一方、小さな鐘は天主堂が再建された時も復元されることはありませんでした。

浦上カトリック信徒・被爆二世 森内浩二郎さん
「小さい時から聞いていた。『すごいぞ、鐘が二つ鳴ったら』『いつになったら二つ鳴るかな?』と思って育ってきた」

その鐘をよみがえらせたのはアメリカの信徒でした。

「きれいだね、そう思わない?」

ジェームズ・F・ノーラン・ジュニアさん。祖父は原爆を開発したマンハッタン計画に参加した医師でした。

ジェームズ・F・ノーラン・ジュニアさん
「祖父が『日本』について語ったことは、たったひとつ。『想像を絶するような完全な破壊だった』」

祖父の足跡を追っていたノーランさんと森内さんとの出会いで鐘の復元が動き出しました。

ノーランさんは全米をまわって講演。600人を超えるアメリカ市民から1800万円に上る寄付が集まりました。

「涙が出そう」

そしてきょう、原爆投下時刻の午前11時2分。「希望の聖カテリの鐘」と名付けられた新しい鐘、その後を追うように被爆を乗り越えた鐘が鳴らされ、戦後初めて浦上天主堂双塔の鐘の音がよみがえりました。

ジェームズ・F・ノーラン・ジュニアさん
「すごい!うれしいです。この鐘が希望と平和、そして絆を育んでくれれば嬉しいです」