被爆から80年の8月6日の午前8時15分。カープの1軍寮では入団2年目の髙太一も記憶を風化させてはならないと思いを新たにしました。
RCC石田充アナウンサー
「カープの若手1軍選手が暮らす南区の大州寮です。爆心地からおよそ4キロのこの場所の建物には平和への願いが込められています」

壁には英語やフランス語、ロシア語など世界各地の20の言葉で「平和」と刻まれています。その隣には日時計があり8月6日の午前8時15分に白い鳩の口元にある赤い実に影が伸びるようにできています。
けさは入団2年目の高太一が寮の前で黙とうを捧げました。

広島カープ高 太一投手
「僕たちがこうして当たり前のように野球ができる環境があるというのは昔の人たちの苦労あってのことだと思う。やっぱり風化させてはいけないもの、忘れてはいけないものだと思いながら黙とうをしました。何度か資料館や原爆ドームに足を運んですごく悲惨な出来事だと思っています。昔、こういう(原爆投下)出来事があったというものを肌で感じられる場所で野球をさせてもらっているので常に感謝の気持ちを持ちながら毎日を過ごしています。当たり前に野球ができる環境に喜びをかみしめながらしっかりと野球に向き合っていきたいと思っています」
カープは原爆投下の歴史を次世代に継承するため毎年8月の地元主催1試合を“ピースナイター”と銘打ち開催しています。被爆80年のことしは8月13日(水)の阪神戦で実施され、広島出身の吉川晃司さんが始球式や歌唱をおこないます。