戦後80年の節目に長野市の「松代大本営地下壕」について考える会が開かれました。

長野市松代町で開かれた会には、地元住民や研究会のメンバーなどおよそ30人が参加しました。

「松代大本営地下壕」は、太平洋戦争の末期、本土決戦に備え国の中枢を移そうと工事が進められました。

会合では研究者から「大本営」の呼び方は戦後、メディアを通じて定着したもので、当時学術的な議論はほとんどされていなかったとの指摘がありました。

■金沢星稜大学 菊池嘉晃教授:
「(工事は)秘匿事項だったので、大本営という言葉は戦時下ではまったく使われていないと思われる」

また、地元の研究グループからは、長野市や周辺にはほかにも地下壕などの戦争遺跡が残っていることから、松代大本営の呼び方を「長野大本営」とするとともに、当時の移転計画の全容をとらえ直すことも必要ではないかとの提案もありました。