戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。今回は、戦時中、南太平洋の最前線で零戦の整備にあたっていた104歳の男性の証言です。今でも忘れることができない、日本初の海軍の特攻隊「敷島隊」を見送ったときの光景です。
香川県高松市に住む、多田野弘さん。104歳です。
元零戦整備士 多田野弘さん
「飛行機を準備して飛ばしてやるのが、私たちの仕事でした」
多田野さんは21歳で戦地に赴き、海軍航空隊の一等整備兵として、ラバウルやサイパンなど南太平洋の最前線に立ちました。
整備していたのは、当時、日本海軍の主力だった零式艦上戦闘機=零戦です。
元零戦整備士 多田野弘さん
「燃料をつけたり、機関銃の弾を積んだり。全部、特攻で逝ってしまいました」
戦地に持ち込んだカメラで多田野さんが撮影したという、青年の写真。敵艦への体当たり攻撃=「特攻」で命を落とした仲間です。
零戦は、日本軍の戦況が悪化した太平洋戦争末期、空中戦の道具から特攻兵器へと姿を変えていました。
元零戦整備士 多田野弘さん
「『総員、見送りの位置につけ』と、スピーカーから。『特攻が出ていくから、皆で見送れ』と」
日本で初めての神風特攻隊「敷島隊」。彼らを見送った多田野さんには、今でも忘れられない光景があるといいます。
元零戦整備士 多田野弘さん
「彼らの顔を見ました、搭乗員の顔。飛行機で死にに行くんですよ。だから、ものすごく厳粛な顔をして、顔が固くなっているんじゃないかと思って見たところ、にこにこしとるんですよ。にこやかに、晴れやかな顔をしているんです。どの搭乗員も皆、そう。もう『人間業ではないな』と思った」
特攻で亡くなったのは、海軍と陸軍を合わせて約6300人。ほとんどが20歳前後の若者でした。
元零戦整備士 多田野弘さん
「私と同じ年頃の搭乗員です。それが爆弾とともに突っ込んでいく。死にに行くんですわ」
終戦を迎えるまでに100人を超える特攻隊員を見送ったという、多田野さん。「尊い命が奪われる戦争は、二度と起こしてはならない」と力を込めます。
元零戦整備士 多田野弘さん
「もし、日本が外国から攻められたときに、あなたは戦うことができるかと。(そう考えると)戦争というのは、起こりようがないと思います」
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