2020年7月豪雨災害からまもなく5年です。
店が被災し、仮設商店街で営業を続けた串焼き店があります。その店を4年ぶりに尋ねました。

地元の人や県外からの客で賑わう人吉市の串焼き店です。
客「本当においしい、ここは」
客「雰囲気が良いですよね」
客「安くておいしい」

山下さん夫婦が営む「串焼き山久(やまひさ)」
2年前、この場所に新たな店舗を構えました。元の店舗は300メートルほど離れた場所です。

5年前の豪雨で2階まで浸水しました。

――もしかしてあの白い線って?
串焼き山久 山下久子さん「そうです。あの白い線が水がきたところの線。最初の頃はもうどうしようみたいな。何も考えられなかった」

建物の所有者がこの場所での再建を断念したため、次に良い場所が見つかるまではと人吉駅前の仮設商店街で営業を続けました。
串焼き山久 山下省三さん「ありがたいと思う。ここからまたいちからやり直しができるなら頑張りたい」
被災した直後は店舗があった場所を通るのも避けていました。

4年前のインタビュー「なるべくここは通らないようにしていた。悲しいですよね。楽しいお店が戻ってきてくれたらそれだけで十分です。」

豪雨から5年が経ち久子さんの願いどおり、楽しいお店が戻ってきました。
――どんな5年でしたか?
山下省三さん「どんな5年…自分にとっては一番どん底に落ちた5年。本当最悪。夜も寝れんくらい最悪だった」
賑わいを取り戻すまでには時間がかかりました。仮設商店街での営業を始めたときはコロナ禍真っ只中。約2年間、毎日赤字で、店をたたむことも検討しました。
山下久子さん「『もうお客さん来ることないよ』と思っていたから、
『お互い別々の仕事行く?』みたいな話になって」
営業を続けたい省三さんと、生活が不安でたまらなかった久子さん。顔を合わせれば喧嘩の日々だったといいます。今回、記者、4年前との違いを感じました。

――久子さん、こんなに笑っていなかったんですよ、あの時
今回の取材で印象的だったのが、久子さんの笑顔と笑い声です。


「カメラ目線なっちゃう。あっはっはっはっ」
「何歳なりました?あっはっはっは」
「笑い声」
「笑い声」
「店でも常に元気ですよ。(笑い声)常に笑ってますから」
しかし、4年前は
串焼き山久 山下省三さん「いや~本当ね。笑っとらんやったねたしかに。」
串焼き山久 山下久子さん「本当今思えば、そう言われたらそうだったかも。角は出てくるし、『もうどうすると~』てなって、本当笑ってなかったかも」
「もう一度豪雨被害に遭うのではないか」今でもその不安は拭えません。熊本市など別の場所での再建も一度は考えました。それでも人吉を選んだのは、再開を心待ちにしてくれる人達がいたからです。

山下省三さん「『早く再開してくれ』というお客さんもいたし『いつね、いつね』とずって言ってくれる知り合いとか友達とかもいたんで、その人たちのためにもう一回人吉で頑張ろうと思って」
仮設商店街から新たな店舗に移ってからは、久子さんの笑顔も、お客さんも、戻ってきました。今では、平日も毎日満席という賑わいぶりです。
山下久子さん「『満席で~す』というのもちょっと嬉しいもんね。『すませーん、またお願いしまーす』となるけど、こんなことなかったけんね」

これからも夫婦で、人吉で、営業を続けます。
山下省三さん「ずっと人吉でやっていこうかなと、身体が動かなくなるまでは。それだけですかね」