熊本を流れる白川が氾濫し、死者・行方不明者が563人にのぼった「6・26水害」から6月26日で72年です。自らの経験と反省から避難の大切さを訴え続ける男性がいます。

白川にかかる熊本市の子飼橋近くでは、今年も「6・26水害」の慰霊式が執り行われました。

1953年の6月25日から降り続いた雨で、熊本市で白川が氾濫。市街地は濁流に飲み込まれ死者・行方不明者は、563人に上りました。

慰霊式に参列したのは流域に住む約30人。亡くなった人たちを偲び、白川に献花しました。

そこに、当時9歳で被災した田尻康博(たじり・やすひろ)さんの姿もありました。

自治会長 田尻康博さん「72年は長い、長いけれども私達は忘れてはいけない」

生まれたときから白川のそばで暮らし、白川が遊び場だったという田尻さん。

当時 小学3年生。

異変に気づいたのは、学校から帰宅して弟と遊んでいた時のことでした。

田尻康博さん「ふと見たら土間に水がドーッと流れてきた。もうびっくりして『お母さん!家の中に水が流れてきたばい』と『これは洪水かも 逃げんといかん』と、母は私の手をしっかり握って弟を背中に背負ってとにかく逃げようと」

一夜明けて 町を見渡すと、その姿は一変していました。

田尻康博さん「ぼう然とした状態だったんだけど。大江校区で219人 大江小学校の仲間21人亡くなったと聞いて。それはもう・・・つらいよね・・・」

水害の恐ろしさと早期避難の大切さを心に刻んだ田尻さんでしたが、それでも、油断した出来事がありました。

13年前の九州北部豪雨です。

田尻康博さん「私は家にいてね」東京の友だちが電話で『田尻くん熊本は大丈夫ね?』と『なんで?』『いま全国放送で龍田陳内でヘリコプターが人命救助しよるよ』と『えぇ!?』私は知らなかったんです」

友人からの電話で初めて状況を理解した田尻さん。

自らの意識を反省するきっかけになりました。

田尻康博さん「『川の水があふれたら逃げよう』と、こんなことよ、人は。自分は水害を経験したにもかかわらず逃げようとしなかった。だから今、私は勉強して分かったわけ。だめなんだ、これじゃ」

それから始めたのが、626水害の語り部活動です。

講演で「人間は自然の災害には絶対勝てません。自然災害からは早く逃げるが勝ち。いいですか?声を出して!」
みんなで「早く逃げるが勝ち!」

未曽有の水害から72年。これからも、白川とともに暮らします。

田尻康博さん「白川が大好きだし白川で育った。怖いときはあるけれど避難すればいい。逃げておけばいい。白川がないと熊本はダメだと思いますよ」