裁判について報じる新聞が掲載された日、記事を見た知人から電話があり、菅原ハルさんは「そんなにお金が欲しいの?」と言われたというのです。

「ドキドキして震えて…。電話も怖くて次になっても出れない。2・3日は外へも出たくないというか」

公式確認から60年近くたっても、差別や偏見が続いていたのです。

第5次訴訟は、149人の原告のうち提訴が早かった47人について2024年4月に判決が言い渡されています。

阿賀町出身の男性(70代)は、ここで水俣病と認められた26人のうちの1人です。

「たまに指先が青くなるというか、今でもこういう(症状が)…」

しかし男性は、裁判で水俣病と認められてもなお、男性は顔や実名を公表していません。患者や被害者への差別や偏見を目の当たりにしてきたからです。

「あの人あれだよ、水俣病の金もらってる。相当な金もらってるよ」
「だからあんなの、大した症状でもないんだけど…、とそういうことを言われる」

「偏見というか、そういうのを聞いていたからね。自分だけで収めておこうと」

男性は、孫にも水俣病を抱えていることを打ち明けられずにいます。