1965年に公式に確認された『新潟水俣病』。
旧昭和電工・鹿瀬工場の工場排水によって引き起こされた公害病です。
排水に含まれていたメチル水銀が阿賀野川に流され、そこで育った川魚を食べた住民に被害が広がりました。

新潟市北区に住んでいた菅原ハルさん(85歳)は、2015年に医師から水俣病と診断されました。しかし「公健法(公害健康被害の補償等に関する法律)」に基づく認定の申請は、2015年と2021年の2度、棄却されています。
2016年には、新潟水俣病第5次訴訟の原告にも加わりました。

原告の中には偏見や差別を恐れて、顔や実名を出さずに裁判を続けている人もいます。当初はそのうちの一人であった菅原さんは、2024年7月に顔と実名を公表することを決意。新聞の取材を受け、裁判の意見陳述に臨みました。
しかし菅原さんは、裁判後の会見でカメラの前に出るのをやめたのです。