(村山淳さん)
「この標識がいつ設置されたのか、正確な記録は残っていないが、この標識について定めた法令が、大正11年から昭和17年、1922年から1942年の間

今から10年ほど前、地元の有志が詳しく調査した結果、この道路標識は、当時の内務省令「道路警戒標及道路方向標」によって設置されたものであることが判明しました。
従ってその時期は、少なくとも80年以上前、最も古い場合で、実に100年以上前ということに。
いや、ほんとよく残っていたものです。

100年前にもあった「カーブ注意」

(城記者)
「今の『カーブ注意』?」
(村山淳さん)
「屈曲は今でいうカーブですよね、この先カーブが多いですよと」

こちらの道路。
高松と徳島を結ぶ「塩江街道」の旧道で、現在は隣を通る国道に、その地位を取って代わられたものの、かつては幹線道路でした。

塩江地区と呼ばれるこの一帯、かつては牛の取り引きなどが行われ、大いに賑わったそう。
さらには温泉地でもあることから、「高松の奥座敷」として、戦前には特に人気の高い観光地でした。

かつてはにぎわった観光地だった

バスやタクシーなどが走り出すようになり、現代に通じる交通事情へと変化したことで、道路標識が設置されたのではないかと村山さんは推測します。

一方で、この標識が現在まで残った理由については…。