被爆当時16歳だった谷口稜曄さん。
郵便配達中に爆心地から1.8キロの住吉町で被爆。
後ろから熱線を浴び背中や腕は真っ赤に焼けただれました。
谷口さんは長崎被災協の母体で1956年に発足した長崎原爆青年乙女の会に発足時から携わり、2006年6月からは長崎被災協の会長を務めていました。
2012年には原爆投下を命じたアメリカのトルーマン大統領の孫にも面会し、体に残るケロイドや深くえぐられた胸を見せ、核兵器の非人道性を訴えました。
(1990年撮影)
被爆当時16歳だった谷口稜曄さん。
郵便配達中に爆心地から1.8キロの住吉町で被爆。
後ろから熱線を浴び背中や腕は真っ赤に焼けただれました。
谷口さんは長崎被災協の母体で1956年に発足した長崎原爆青年乙女の会に発足時から携わり、2006年6月からは長崎被災協の会長を務めていました。
2012年には原爆投下を命じたアメリカのトルーマン大統領の孫にも面会し、体に残るケロイドや深くえぐられた胸を見せ、核兵器の非人道性を訴えました。
(1990年撮影)