プロ野球・巨人で選手、監督として活躍した長嶋茂雄さんが亡くなりました。
宮崎キャンプでゆかりのある県内からも追悼の声があがっています。

巨人終身名誉監督の長嶋茂雄さんは、3日朝、肺炎のため亡くなりました。89歳でした。

1962年、宮崎市錦本町にあった旧県営球場での宮崎キャンプの映像には、バッティング練習をする長嶋さんの姿が映っています。

長嶋さんの周りにはいつも多くのファンがいました。

2000年には、復活した背番号「3」をファンの前で初披露。この瞬間を一目見ようと、5万5000人のファンが訪れました。

この年、青島神社で長嶋さんを出迎えたのは・・・

(長嶋さん)「よく似てますね」

長嶋さんは自分のろう人形と少し照れながら笑顔で対面していました。

長嶋さんは、2004年に脳梗塞で倒れますが、その後もたびたび宮崎キャンプの視察に訪れ、選手たちを鼓舞しました。

「勝つ!勝つ!勝つ!」

キャンプ地、サンマリンスタジアムの名づけ親となったのも長嶋さんです。
球場の愛称は全国から公募し、サンマリンスタジアム宮崎は長嶋さんのほかに33通の応募があったということです。
この「33」は、長嶋さんの以前の背番号と同じです。

このサンマリンスタジアムで巨人の宮崎キャンプ60年を記念して、2018年に開かれたのが巨人とホークスのOB戦。
王貞治さんと長嶋さんのONコンビが姿を見せ、ファンを沸かせました。

(巨人の総監督を務めた長嶋さん)
「しばらくぶりにベンチに入って試合を見ながら、非常にいい感じで気分が良かった」

巨人の選手、監督として宮崎キャンプを訪れ、県内の観光振興や経済活性化にも貢献した長嶋さん。
2002年には宮崎市から名誉市民の称号が贈られました。

(長嶋茂雄氏の話)
「市民栄誉賞を頂戴でき、野球人生で最も思い出深き、きょうの1日だ。市民の皆さんと一体となり、野球というスポーツを普及する役割の、使命の大きさを感じている」

長嶋さんの訃報に県民は。

(県民)
「さみしいですね。(キャンプを見に行ったことは?)何回も。はつらつとして気持ちよかったよ。すばらしかった」
「(宮崎の)知名度をすごく上げてくださったし、それで巨人ファンがすごく多いと思うので、すごい大変貢献していただいた方だなと思います」

長嶋さんのはつらつとしたプレーや親しみやすい人柄は多くの人の心に残り続けます。