岩手県奥州市水沢といえば、今は「大谷翔平選手の出身地」として有名ですが、「偉人のまち」としても知られています。その水沢出身の偉人のうち、高野長英と後藤新平の2人に着目した展示会が奥州市の後藤新平記念館で行われています。

水沢では幕末の蘭学者高野長英、台湾総督府の民政長官や満州鉄道総裁を務め東京市長として関東大震災からの復興に尽力した後藤新平、第30代内閣総理大臣斎藤実のことを「三偉人」と呼び、古くから敬愛しています。
今回の企画展ではこのうち高野長英と後藤新平について取り上げています。

高野長英は、奥州市の「後藤家」の本家の出身です。また後藤新平は「後藤家」の分家の出身であり、2人は親戚にあたります。
2人はともに医者であった、という共通点があります。

「蛮社の獄」で捕らえられた後、小伝馬町の牢屋敷から脱獄した長英はそれまで「罪人」として扱われてきましたが、後藤新平が水沢の高野家の背中を押し続け、その名誉回復のため尽力しました。

また、明治時代中頃には「新狂言」という演劇で、高野長英の逃亡を描いた作品が上演され、連日満員の好評を博します。しかし、劇の一説に逃亡中の高野長英が新宿の宿場女郎から25両の金をもらうというという一説が描かれたことに対し、高野長英の子孫や後藤新平が「そのような人物ではない」と抗議し、演劇が中止になったというエピソードなども紹介されています。

さらに、昭和3年に発行された高野家12代当主高野長運による著書「高野長英伝」には後藤新平による「識達中外明通千古(知識は中にも外にも時代を超えて通じる)」という献辞が寄せられています。台湾総督府の民政長官や満州鉄道総裁を務めた後藤による評価だけに、この献辞には特別な重みが感じられます。

後藤新平記念館の中村淑子学芸調査員は「奥州市水沢から『もっと世界を見るべきだ』という先見の明を持った2人の偉人が出たことを感じ取り、誇りに思って欲しいです」と話していました。

「高野長英と後藤新平 『先見の明』をもつ二人の男たち」と題したこの企画展は、8月24日(日)まで行われています。