1993年に長崎原爆被災者協議会の横山照子(現・副会長)が光石信幸(みついし・のぶゆき)さんに話を聞いた時の音声を編集しています。

母親が妊娠3か月で被爆したために「原爆小頭症」として生まれ、脳の発達異常のため知的障がいがあった他、様々な病に苦しんだ光石信幸さん。中学卒業後に働き始めましたが、行く先々で人間関係などの悩みを抱え、さらには障がいや体の不調のため思うように働けず、様々な職場を転々としました。

光石さんは心臓の疾患で長崎市内の病院に入院していましたが、1993年に呼吸不全のため死亡しました。47年間、孤独と貧困のなかで原爆小頭症と闘い続けた生涯でした。