広島大学・霞キャンパスのある場所。ここには、終戦まで砲弾や火薬などを保管する広島陸軍兵器補給廠がありました。当時の写真では、多くの砲弾が並んでいることがわかります。

兵器補給廠のほかにも、一帯には日本軍の施設がありました。国の重要文化財になった最大級の被爆建物=「被服支廠」も、そのひとつです。

日清戦争の最高指導機関・大本営が東京から移されるなど、広島市は明治時代から陸軍の拠点として多くの施設ができました。「軍都広島」とも呼ばれています。

兵器補給廠の広大な敷地は、戦後、広島大学の医学部や広島大学病院として活用されることになりました。

警察は、戦争当時の砲弾がそのままの状態で地中に埋まっていたとみて調べています。

回収された砲弾は、陸上自衛隊が京都の駐屯地まで持って帰っていて、処理の方法を検討するということです。