優しい味で地域の人たちのお腹を満たしてきた町中華が、4月30日閉店し、40年の歴史に幕をおろしました。親しみやすい味で常連客も多かった店の最後の一日を、取材しました。

とろみのついたスープにたくさんの具材。まずは、あっつあつのスープから…

食べたことがある人も多いのではないでしょうか。高知市愛宕町の中華料理店、桂飯店の看板メニュー、タンメンです。

桂飯店は1986年、昭和61年に、高知市北本町にあった複合施設「ヤングプラザ」にオープン。

老朽化による施設の閉鎖に伴い、2016年、愛宕町に移転しました。

厨房で腕を振るうのは下村吉生(しもむら・よしお)さん。

高知ならではの食材をふんだんに使ったラーメンや、チャーシューのタレで炒めた”黒い”焼きめしも人気でしたが、なによりお客さんに愛されていたのが…

(下村吉生さん)
「うちの嫁さん。口から先に生まれたような人じゃないろうか」

最後の日。いつもと同じように夜明けとともに店に来たのが、妻の晴江(はるえ)さんです。

(下村晴江さん)
「(Q.最後のシャッター開けですね)そうですね。さみしいのと、あしたからまた違う生活が始まるから。不安なのと、ちょっとワクワク。自由な時間ができる、両方かな」

毎朝、夫の吉生さんより先に店にやってきます。

(下村晴江さん)
「まず新聞」

一息つく間もなく、厨房へ。

(下村晴江さん)
「こっちのことはようせんから、掃除とかごはんとか、温泉卵とかを私が」

午前7時半には吉生さんも到着。二人で、最後の開店準備です。

(下村吉生さん)
「最後やと聞いて、なかには大泣きする人もおってね…お客さんに感謝」

食材を無駄にしないよう、少しずつ仕入れの量は減らしてきましたが、やはり朝の仕込みは大忙し。なかでも手がかかるのが、スープです。

(下村吉生さん)
「全部の料理に使うんですよ。うちの場合は透明なスープを取りたいんです。鶏ガラや豚ガラもすべて手洗いしている」

創業から40年目の2025年、74歳の吉生さんと67歳の晴江さんは、閉店を決めました。店舗が入る建物の取り壊しが決まったからです。

(下村晴江さん)
「移転はもう全然、最初から考えてなかったです。ヤングプラザの時はまだもうちょっと若かったし、考えたけどね。もうさすがに今度はね」

閉店を決意したのは2月末でしたが、お客さんに公表したのは、最終日のわずか9日前。そこにはお客さんのことを常に考えてきた二人ならではの理由がありました。

(下村吉生さん)
「公には言わんかったんよ。ほかのお客さんに迷惑になるのでね。お昼も予約でないと入れないような状態に、あんまり前からなりすぎたら(常連ではない)普通のお客さんに迷惑かかるんで」

(下村晴江さん)
「よう言わんかったというのもありますね、やっぱり顔見たら。もう今月で終わりよっていうことをね。親しい人にはなおさらね」

(下村晴江さん)
「公表してから…」

カレンダーは予約の名前でいっぱいです。

(下村晴江さん)
「こっちの紙に書き直して、入れる時間にみんなを入れて…」

午前11時の開店と同時に1階まで行列が!

厨房は大忙しですが、晴江さんは、一人ひとりのお客さんに挨拶を欠かしません。

(下村晴江さん)
「ほんとにありがとうございました、長いこと」

(客)
「いつもありがとう、おいしかった」

(下村吉生さん)
「ありがとう」

(下村晴江さん)
「またスーパーで会いましょ」

最後の夜は、常連客で満席となりました。店内には賑やかな声が響きます。

(常連客)
「最後に思い残すことないぐらい食べてます。10年以上食べさせてくれてほんとお世話になりました」

(常連客)
「やめてどうしましょ、ほかに行くところがない…」

(常連客)
「中村出身なんですけど、高校卒業して高知に出てきて一番お世話になったお母さんなんですよ」

「連れてきてもらったので、ずっと一緒にこの旦那さんと(来てました)」

(常連客)
「やっぱり町中華がなくなるのはさびしいですよね。おんちゃんあっての桂飯店、おばちゃんあっての桂飯店。2人がいるから桂飯店」

「ありがとう」

(下村吉生さん)
「こんなにしていただけるなんて夢にも思いませんでしたよ」

(下村晴江さん)
「涙!涙!」

(下村吉生さん)
「スタッフのみなさんの協力があって、きょうまで頑張ることができました。ほんとうにありがとうございました、特にあちらにおいでるうちの嫁さんが頑張ってくれました。本当にご利用いただいてくれたお客様、ありがとうございました」

お客さんの胃袋と心を満たし続けて40年。店の灯りは消えても、”桂飯店での思い出”はお客さんの心に残り続けます。