太平洋戦争末期の1945年・昭和20年に愛媛県今治市の市街地に対して行われた空襲から、80年が経ちました。市内の慰霊碑では式典が営まれ、犠牲となった電話交換手の女性10人を悼みました。
NTT西日本・今治支店のビルの片隅にたたずむ慰霊碑。
今から80年前、既に戦局が絶望的となっていた1945年・昭和20年、4月26日の午前9時過ぎ。米軍の爆撃機「B29」15機が今治の市街地を襲いました。
郷土資料などによると、その際に降り注いだ爆弾は実に260発以上。当時の今治郵便局も直撃の被害に見舞われ、電話交換業務にあたっていた16歳から21歳の女性、合わせて10人が犠牲となりました。
この日に合わせて行われた慰霊祭には、NTT西日本の職員や退職者などおよそ30人が参列。黙とうのあと献花を行い、若くして非業の死を遂げた殉職者を追悼しました。
花を手向ける人の中には、4年前に94歳で亡くなった元電話交換手の娘の姿もありました。
(母親が勤務していて負傷・近藤フミ子さん(77))
「母が一番長く生存した犠牲者、電話交換手をしていた。頭に、爆撃の破片だと思うが受けている。ずっとその傷は残ったよう」
母親が亡くなったことを機に慰霊式に参列するようになったということです。
(母親が勤務していて負傷・近藤フミ子さん(77))
「16歳から21歳の10人が亡くなった時の惨状、手や足がもげて血の海になって、それを母親たちが駆け付けて泣き崩れている。それを想像しただけで…胸が詰まる」
肉親に聞いた惨禍の記憶。近藤さんは、戦争の悲惨さを後世に語り継ぐことの大切さと、その難しさについて思いを語ります。
(母親が勤務していて負傷・近藤フミ子さん(77))
「やはり隔世の感があるというのは、今の時代、80年前のことが中々、多分私も含めて伝わりにくかったんじゃないかなと思う。もう…戦争、戦後は遠くなっちゃったなという思いをしたのではないかなと、今になれば感じる」
10年前の式典の様子を記録した映像では、当時はまだ存命だった元職員の姿も記録されていました。
(亡くなった職員の旧友・大河内キク子さん)
「友達に会いたい」
――ここで働いていた友人には何と声をかけた?
「あなたたちは幸せかのお。私は子供で苦労したけど、今は楽しいよって」
慰霊碑の手入れをする元職員の男性によりますと、この映像に残る大河内さんは、5年ほど前に亡くなったということです。
米軍による今治への空襲は、4月に始まり、終戦直前の8月6日まで3回に分けて行われ、合わせて90機を超す爆撃機が襲来、その結果、市街地の8割が焼失し、547人が命を落としたと言われています。
戦争のむごい記憶をどのようして正しく後世へと引き継いでいくのか。慰霊碑は、今を生きる我々に問い掛けます。
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