第二の人生 掴んだ確信

第二の人生として選んだのは、進学。國學院大學で動作解析などを学んだ。
そして同大学のスポーツ心理学を専門としている先生と一緒に練習を重ねる中で数年ぶりにボールを握ってみると「あ、何か投げられるな?って」。思いがけずに自身のイップスを克服。卒業後は慶應義塾大学の大学院で研究を続け、今では自身の症状についても明確に説明ができるようになった。

慶応の大学院に入学

「イップスは大きく3タイプあると言われていて、1つは手が痙攣したりする神経的なタイプ、2つ目はプレッシャーで思い通りの動きができなくなったりする心理的なタイプ、3つ目がその両方の症状を持ってしまっているタイプ。僕はその3つ目だったのでより複雑な状態でした」

「僕の場合はフォームを意識して『ここをこう動かそう』とか、そっちの方ばかりを考えてしまっていました。そうではなく『こういうボールを投げたい、こういう軌道のボールを投げたい』とかの方に意識を向けることが重要だったなと思います」

迷いなく話し続ける様子に、ついこんなことを聞いてみたくなった。

「もし今の自分が当時の自分に会えていたら、助けてあげられたと思いますか?」

即答だった。

「思いますね」

奇跡の“151”

この言葉を証明しているのが、昨年11月に行われた12球団合同トライアウトだ。トライアウトは基本的には、その年に戦力外通告を受けた選手が現役続行をかけてアピールする場。そこに引退から5年という極めて異例のブランクを経て参加したのが島さんだった。

「島ってイップスで引退したのに投げられるの?」そんな声も上がる中で、スピードガンが表示した球速は“151キロ”。現役時代の最速・153キロまであと2キロ、参加選手全体でも2番目となる剛速球に、スタンドで見届けたファンだけでなく、球界関係者の多くが驚きの声をあげた。

「あの時のボールはロッテに入ってからベスト3に入るくらい良かったと思います。吉井さん(現ロッテ監督、島の現役最終年の一軍投手コーチ)には登板前に『見てるから頑張れよ!』と、終わってからも『良くなったな!』と言ってもらえて・・・嬉しかったですね」

トライアウト後には独立リーグやクラブチームからオファーが。NPBではなかったが、現役復帰への道も繋がった。

だが、選んだのは大学院に残ることだった。「自分のような苦しみを味わう人を増やしたくない、今の研究を深める方を選ぼう、と」。

今の研究・新たな夢

研究とはもちろん「イップスを治す方法」。現在は自身のSNSを通じて、実験の被験者となる“イップスに苦しむ硬式野球の投手”を探しているという。実験内容は極めて簡潔に言えば“島孝明がイップスを治した方法を試してみませんか”というものだ。

島さんは、イップスに悩む人に、伝えたいことがあるという。

「イップスは『こうすれば確実に良くなる』というのがまだ無いのが現状で、僕の方法で『必ず良くなるか?』と言われるとそこはまだ分からないです。でも『島の方法は合わなかった』と分かるだけでも改善への一歩になる。気持ちは痛いほど分かります。とにかく1人で悩んでいても良いことは何も無い。勇気はいると思うけどいろんな人の話を聞いてほしいし、その中の1人に僕を選んでくれたら、なお嬉しいです。僕なりのアドバイスはしてあげられると思うので」

自らの現役復帰を捨ててまで選んだ研究の道。「僕がイップスを治せた人が、僕の叶えられなかった夢、ロッテのクローザーになって活躍してくれたら・・・。そんなに嬉しいことはないですね」と今の夢を語り、照れくさそうに笑った島さん。「イップスは治せる」そう言える日がくることを誰よりも願っている。

■島孝明(しま たかあき)
1998年6月26日生まれ。東海大市原望洋高校では3年春に153キロをマーク。2016年アジア選手権18歳以下の日本代表にも選出され、西武今井・楽天早川らと共に優勝を経験した。同年ドラフト3位でロッテに入団するが、入団から数か月でイップスを発症。在籍3年間で一度も公式戦登板を果たすことなく19年シーズン後に自ら引退した。その後は國學院大學に進学、さらに慶應義塾大学大学院に進み現在は「イップスを治す研究」に励んでいる。