イップスに苦しむ投手に、希望の光が射すかもしれない。自らも症状に苦しみ、プロ野球を21歳という若さで引退した元ロッテの島孝明さん(26)。引退後は國學院大學、慶応大大学院へと進み研究者の道へ。「治す研究」を続ける過程で症状を克服した。「僕がイップスを治せた人が、僕の叶えられなかった夢、ロッテのクローザーになって活躍してくれたら」と新たな夢を語る。

「難敵」イップス

「イップス(yips)」とは主にスポーツ選手に見られる、“自分の身体を思い通りに動かせなくなる症状”のこと。野球選手が短距離のキャッチボールもできなくなる、ゴルファーが極めて簡単なショートパットもきめられなくなる、などが典型的な例として挙げられる。

その言葉が初めて世に出てから数十年。今も病気ともケガとも定義はしきれず、明確な治療法は見つかっていない。とある有名プロ野球選手の専属トレーナーは、こう話した。「イップスの治療法を見つけられたらノーベル賞ものですよ」。

イップスで絶たれた夢

この難題に挑んでいるのが、元プロ野球投手の島さんだ。高校時代には西武の今井達也(26)らと共に18歳以下の日本代表にも選出され、2016年ドラフト3位でロッテに入団した。島さんは当時を振り返り「ロッテのクローザーとして、満員のファンの大声援と期待を背負いながら投げたいと思っていました」と語る。

だが入団からわずか3年、一度も一軍登板を果たすことなく21歳で現役を引退。その最大の原因が1年目の6月頃に発症したイップスだった。きっかけは、今も正確には分からない。「筋肉痛でコンディションが悪い日が続くな・・・」くらいの感覚。普段通りにピッチングをしているはずなのに、突然ボールが狙いから大きく外れるようになった。

理由が分からないから、対処法も分からない。元々の性格が、ひとりで真面目に考え込むタイプ。ひとりで悩み続けるうちに、キャッチボールでもまともに投げられなくなった。

「『イップスだね』とは言われても、『じゃあどうしたらいいんだろう?』って。治し方がないから、そこから先が全く見えなかったのが辛かったです」

「心が壊れかけた」早すぎる引退

それでも逸材として期待され続け、12月に台湾で行われたウィンターリーグではDeNAの佐野恵太(当時23)・巨人の吉川尚輝(当時23)らと共にNPBイースタン・リーグ選抜の一員に選出。社会人選抜との試合に登板した。

だが、捕手のミットが全く届きそうにもならない、バックネットへの大暴投を連発。プロで投手経験もない外野手との交代を命じられ、ベンチで1人項垂れた。

「ベンチに座っていた時のことは、あまり覚えていないんですよね。記憶に蓋がかかっているというか・・・」

ショックだったのは、暴投を繰り返したことではなかった。

「イップスは分かっていたので、投げたらああなるとは思っていました。『やっぱりなったか』という感じで。ただ・・・大きな試合でメディアにも投球のことが結構出てしまって、“無様な姿を多くの人に見られてしまったこと”が一番悲しかったですね」

その後も決して努力を怠ったわけではなく、周囲が見放したわけでもない。スポーツ心理学の先生の下でイメージトレーニングを受けた。コーチも様々なアドバイスを送り、守備練習ではバント処理のスローイングを繰り返した。実際に過去にはこれでイップスを克服した投手も存在し、有効な練習の1つとして考えられている。

だが、症状は変わらなかった。バント処理では綺麗に投げられるのに、マウンドに立ってピッチャーのモーションになると投げられない。

「自分じゃない感じがしていました。毎日ボールを投げている感覚が変わるので毎日不安なんですよ。『今日は大丈夫かな・・・?』みたいに。『あまり考えずに』とは言われても、それは自分の性格とは真逆のことで。それはそれでまた難しかったです」

結局イップスの苦しみから解放されることはなく、3年目のオフには球団からの育成契約の打診も断って自ら引退。21歳の早すぎる決断に、多くの人が現役続行を説得した。

「当時は本当に野球をするのがイヤで、自分ができないことへのストレスで心が壊れかけていました。もう1年続けたら立ち直れなくなるだろうなと。そこで踏ん張る人もいると思うんですけど、僕はそこまでの強さは無かったというか」