「仕方なく入部した陸上部」その転機となったのが…
1歳の時に、聴覚障害があると診断を受けた坂田選手。
(母・いずみさん)
「補聴器を使ってもあまり音が聞こえないので、人工内耳にすることになった。言葉の面は苦労はしましたけど、他はそんなに」
坂田選手は小学5年生から中学校卒業まで、一般の公立学校に転入してまで野球にのめりこんでいましたが、大学に行くことを考え、ろう学校の高等部へ進学します。しかし、そこには野球部はありませんでした。


(坂田選手)
「高校1年で仕方なく入部した陸上部は、楽しくなかった。毎日走るだけ」
そんな坂田選手の転機となったのは、その年、メンバーに入れず応援に行った全国大会のリレー種目で3年生の先輩が全国優勝を成し遂げた姿でした。
(坂田選手)
「自分も仲間と一緒にメダルを取りたい、バトンを一緒に受け渡して、繰り返し練習をしてみたいという思いが強くなった」

そこから真剣に陸上へ取り組んだ結果、大学4年の時には100mの自己ベストを10秒9へ更新。これをきっかけに日本代表にも選ばれ、おととしのアジア選手権、そして去年の世界選手権のリレーメンバーとして金メダルを獲得。日本を代表するデフアスリートとして注目される存在になりました。