太平洋戦争末期、アメリカの戦艦に零戦で体当たりした特攻隊員がアメリカ兵によって水葬されました。戦後80年に合わせて、この史実を後世に伝えようと、戦艦の甲板で記念式典が行われました。
沖縄戦が行われていた1945年4月11日、鹿児島県喜界島沖で、旧日本軍の特攻機が戦艦ミズーリに体当たりしました。
当時のキャラハン艦長は死亡した特攻隊員に敬意を表し、水葬を命令しました。翌日、遺体は乗組員が作った旭日旗にくるまれ、海軍式の儀式にのっとって海に葬られていて、敵味方を超えた人道の象徴として知られています。
この史実を伝えていこうと、11日、現在は記念館としてハワイのパールハーバーに係留されている戦艦ミズーリで、日米の関係者が出席して記念式典が行われました。
特攻機の出撃地にあたる鹿児島県南九州市の塗木弘幸市長は、「お互いの立場から過去の戦争を考え、語り伝えていかなくてはなりません。そして二度と特攻のような非人道的な出来事が起こらないよう、世界に呼びかけていきたいと思います」と語りました。
また、キャラハン艦長の孫である男性は、「貿易戦争も、実際の戦争も、我々全てを傷つけるものであり、軽々しく突入してはなりません。他者が負けたとしても我々がいつも勝つとは限らないのです」と述べました。
最後に参列者は、特攻機が激突した戦艦の右舷から花びらを海に落として、平和への誓いを新たにしました。
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