NBC被爆80年シリーズ企画「銘板が伝える8.9」。第1回は長崎大学の正門に立つ銘板と、ここで被爆した故・山口仙二さんの証言を伝えます。
爆心地からおよそ1.3キロ北に位置する長崎大学文教キャンパス。ここにはかつて三菱長崎兵器製作所大橋工場がありました。軍需生産増強に伴う三菱長崎兵器製作所の第3次拡張によって1942(昭和17)年に完成。あの日の記憶を刻んだ銘板は正門のそばに立てられています。

『原爆の炸裂によって、20棟余りの大橋工場は一瞬にして空洞化したコンクリートの巨塊と飴のように折れ曲がった鉄骨の残骸に姿をかえた』(銘板より)

大橋工場、茂里町工場など三菱長崎兵器製作所全体の従業員数は、女子挺身隊、学徒報国隊を含め1万7,793人。このうち死者は2,273人、負傷者は5,679人にのぼりました。
長年、被爆者運動の先頭に立ち、2013年に亡くなった山口仙二さんも、ここで被爆した一人です。

山口仙二さん(1991年取材):
「暑い天気のこともあってパンツ一枚で作業中に直爆、熱線を受けた。その熱線だけで意識をなくしてしまいました」

「浦上川はいまは泳げませんけれども当時は泳げるような深さがあって、川にたどり着いた時に泳げた川がまったく泳げないように、死体で埋まってましたねあの大きい浦上の川がね」
「何としても被爆者運動をやらないと自分の生涯に悔いを残すかなと思いましたので、力の限り命の続く限り、細々であったとしても、悔いを残さない被爆者としての人生を送りたい」

いまはおよそ5千人の学生が通う長崎大学文教キャンパス。80年前、ここで起きた事実を銘板が伝え続けます。