戦後、栗野岳の中腹には二反田さんの家族を含め満州から引き揚げた40世帯ほどが山を開拓して暮らしていました。道がまだ整備されていない時代。分校ができる前は、片道2時間かけて登校する児童もいました。

「子どもを近くの学校に通わせたい」と住民みずから校舎をつくり栗野岳分校が誕生。二反田さんの父・実さんも分校づくりに力を尽くしたひとりです。32年前に亡くなりましたが、生前のインタビューがMBCに残っています。

(栗野岳分校づくりに尽力 二反田実さん・当時75歳)「道のないところを栗野まで1年生なんかが行けるものじゃない。どうしても(小学校を)つくらないといけないと、思いがあってみんなが団結した」

しかし、1989年、少子化が進み分校は42年の歴史に幕を閉じます。

(岩戸寛校長・当時)「みなさんはきっとこの開拓魂、苦しさに打ち勝つ魂、力一杯頑張るそういう心を栗野岳分校に残してくださった」

在校生8人のうち3人が卒業し、残る5人は統合先の栗野小や近くの小学校へ転校しました。