「政治家が中傷されたぐらいで、死ぬなボケ」自殺後も続く誹謗中傷
きっかけは、2024年10月31日、兵庫県知事選挙が告示された日だった。立花孝志氏が、元県民局長の告発文書の作成に竹内さんが関与していたと名指しで批判を始めた。

立花氏が根拠としたのは、当時、兵庫維新の会に所属していた岸口みのる県議が渡した文書だった。

竹内元県議の妻
「あそこからいろんなことが始まりましたから、明らかにその紙が、こちらにいろんな悪意が向けられるきっかけになって、攻撃が加えられる。本当に事実に基づかないような、ああいったことを広めていくっていうのは、すごくやっぱり怖かったですよね」
百条委員会の奥谷委員長の自宅の前に聴衆が集められ、こう呼びかけられもした。

NHKから国民を守る党 立花孝志 氏
「出てこい奥谷!竹内さんのところにも行きますよ」
「竹内、丸尾、奥谷みつけたら皆さん教えてください、すぐ行きますから」
「竹内見かけたとか、丸尾見かけたって言ったら、Twitterとかでばーと書いてください。すぐ追いかけますから」

――奥様自身も、立花氏の奥谷さんのところに行く動画をご覧になったんですか?
竹内元県議の妻
「見ました。家族に影響が及んだことを非常に気にかけてましたし。いつ、何が起こるかと怯えながら暮らすというか。外の様子や事務所の周りの様子を常にうかがわないといけないですし。外に出るのも怖くなる。あとは人に会って話して、それさえもできなくなっていく。主人もそうですけど、私も同じようにいろんなことが恐怖を抱いて」

知事選の際、立花氏はXに顔写真とともに竹内元県議を『主犯格』と題した動画を示し続けた。投開票の翌日、竹内さんは家族を守るため、議員を辞職した。
竹内元県議の妻
「すごく異常な残酷なことですし、夫の苦しむ姿というか追い詰められていったことは、不条理だなというふうに思いますし。自分の存在意義みたいなものを否定して、苦しむ様っていうのは、本当に見るに堪えなかったです。全身全霊をかけてやってきたことを失って、それまで築いてきたものも、人間関係であるとか、そういった社会との繋がりであるとかも絶たれて、何とも孤独な思いでいたのは、主人も私も強く思ったことです」
そして、竹内さんが亡くなったあとも、その誹謗中傷は続けられた。

立花孝志 氏
「生前、故・竹内を中傷していましたよ。だって、あいつ悪いことしてるじゃん。そもそも政治家が中傷されたぐらいで、死ぬなボケ」
竹内元県議の妻
「声を上げられない人たちがどういう思いで、もちろんそれを直接見たり聞いたりせずに、目をそむけて耳塞いで生活をしてたとしても、そのことを想像することもできない、社会みたいなものを、それが是認されてるような、社会が本当にそうであってはいけないっていうふうに思っています」