誹謗中傷を受けた末、亡くなった兵庫県の竹内英明元県議。妻が取材に応じ、苦しい胸の内を明かしました。

SNS上の誹謗中傷は、誰が・何の目的で拡散させているのか?検証しました。

「鬱々としている状態だった」竹内元県議の妻が明かした思い

2025年1月に亡くなった竹内英明元県議。第三者委員会の調査報告書が公表された翌日、妻が番組の取材に応じた。

竹内元県議の妻
「ありがとうございます。時間がこうやって経っていくんですね」

妻はその報告書を霊前に供えた。

――竹内さんが中身を読まれたとしたら、どうおっしゃるでしょうね?

竹内元県議の妻

「大きな声で喜んで、たくさんの方の思いが詰まった…いつか本当にいろんなことが落ち着いて、兵庫県も混乱が収まって、皆さんが本当に生き生き仕事ができるような、そういう状態になってくれていることを、早く報告ができるといいなと思っています」

竹内元県議が政治家を志す原点となったのは、1995年の阪神淡路大震災。ボランティアとして学校に避難している子供たちと遊んだり、受験生の勉強を見たりする活動を行った。

竹内元県議の妻
「神戸の町を見て、しばらくそこで活動しましたから、いろんなことを感じて、地方の政治っていうものを自ら担いたいということで、そういうふうに進んでいったのは、私もその頃からは知っている」

毎年のように、1月17日の慰霊祭にも参加。しかし、30年の節目を迎えた今年は参加できず、その翌日、自宅で自ら命を絶った。

竹内元県議の妻
「そんな日(阪神・淡路大震災)を言葉もなく、もう私も直接いろんなそういう話題に触れられないというか、それぐらいに鬱々としている状態だったので。自分がこんな風にこの時を迎えているっていうこと、どう受け止めてるのかなっていうのを考えながら、あの日は過ごして、その次の日だったので。

最後は、だからごめんみたいな、そういうことを、あんまり口にしたことがないような、そういうことを私にも言ったりもしました」

ともに百条委員会で斎藤知事の疑惑を調査してきた奥谷委員長は、結果を公表する日、言葉を詰まらせた。

奥谷謙一委員長
「故・竹内元県議におかれましては、調査途中での議員辞職、さぞかし無念であったと思います。…我々は今日の日を共に迎えたかった、本当に残念でなりません」