“遺族と加害者の30年”「約30通の手紙」と交わした「約束」
1995年3月20日に起きた「地下鉄サリン事件」の直前、オウム真理教に拉致され、命を奪われた男性がいます。遺族である男性の長男は怒りを抱きながらも、「加害者」である元教団幹部と長年やりとりを続けてきました。そこには、今は刑期を終えた元幹部と交わした「ある約束」がありました。
「謂われ無き形で一家の大黒柱を奪ってしまった、己の罪の重さに御詫びの言葉もありません」

これは、オウム真理教の元幹部が、ある事件の遺族に宛てた手紙です。
「目黒公証役場」で事務長を務めていた仮谷清志さん(当時68)。30年前の1995年2月、教団の信者によって連れ去られました。

教団から脱会しようと、身を隠した仮谷さんの妹の居場所を聞き出すための犯行で、仮谷さんは監禁先の山梨県内の教団施設で死亡しました。遺体は灰になるまで焼かれ、山梨県の湖に遺棄されました。
手紙の主は、この事件で運転役として関与した平田信元幹部。仮谷さんの遺族に、何通もの手紙を送っていました。
手紙を受け取った仮谷さんの長男・実さん(65)。30年目の命日のこの日も、仮谷さんが好きだったコーヒーを供えます。
仮谷実さん
「(清志さんの)灰を捨てたという場所を案内してもらいまして、そこにある小石を拾ってきて、父の遺灰というんですか、それが付着しているのではないかという思いで拾って、それを骨壺に収めています。もしかすると、本当に死んでいないのかな。まだどこかに生きているんじゃないかという気持ちは残っているんですよね」

教団は、仮谷さんの事件から3週間後の3月20日、6000人以上が死傷した「地下鉄サリン事件」を起こします。一連の事件で、教祖・松本智津夫元死刑囚ら幹部が逮捕・起訴されますが、平田元幹部は逃亡を続けていました。
事態が動いたのは、事件から16年後、2011年の大晦日、突如、平田元幹部が出頭したのです。