栄村が震災の翌年作った復興計画、その基本目標に定めたのが「子どもの元気な声が響く村を」です。
14年が経った今、地震発生の年に生まれた子どもたちが地域との繋がりを深めようと、挑戦を続けています。

栄中学校2年の保坂陽太さん、新年度、生徒会長を務めます。3月6日、卒業を控えた3年生を送る会の準備を進めていました。

生徒会三役が企画するのは3年生との「思い出すごろく」。
本番に向けて実際にすごろくをしながら手直しを行っていきます。

栄中学校2年保坂陽太さん:「全校が明るく楽しく生活できるような学校にしていきたい」

7人いる2年生は、震災発生の年度に生まれた子どもたち。
授業や家族から震災について聞き、学んできました。

14年前、栄村を襲った、震度6強の地震。
3人が災害関連死で亡くなり、全壊した家屋は33棟に上るなど村の世帯の7割以上が被災しました。

陽太さんは、震災の翌日、3月13日に生まれました。

保坂陽太さん:「本当に大変な時に自分が生まれてきたんだな」

両親は村の復興を願い息子を「陽太」と名付けました。

父・泰章さん:「地震があってみんな気持ちも暗くなっていて、みんなの太陽のような存在、太陽みたいにみんなを明るくして温かくしてくれる存在になってくれればと思って」

14年前、揺れを感じ、お腹の中の陽太さんを抱え家を飛び出した母親の砂紀子さん。自宅前に止めた車にすぐに避難しました。

母・砂紀子さん:「車で生むんだなという決意をしたんですけど、近所の人が早く地区を離れて病院に行った方がいいと」

地震で段差のできた橋を救急隊員に助けてもらいながら新潟県内の病院にたどり着き、無事に陽太さんを出産しました。

震災後、1700人が身を寄せていた村役場の避難所。
陽太さんの誕生は村民にも伝えられました。

村の担当者(当時):「本当に初めてというくらいの明るい話題だった」

地震の翌年に村がまとめた復興計画。
そこで基本目標に掲げたのは『震災をのりこえ、集落に子どもの元気な声が響く村を』です。

この14年で子ども子育てセンターを立ち上げたほか、移住にも力を入れ、出版社の調査で住みたい自治体にランキングされました。

村の人口は、いまは(今月1日時点)1551人。
この20年で1000人以上減りました。

14歳以下の子どもは101人で全体の6.5パーセントで村民の2人に1人が65歳以上の高齢者です。人口減少にどう歯止めをかけるのか、課題は残ったままです。

保坂陽太さん:「人数は少なかったりするんですけど、明るく楽しくにぎやかな村になってほしい」

そして、地元を盛り上げようと陽太さんの同級生も奮闘しています。