日本人初となる米国野球殿堂入りを果たしたイチロー(51、マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)に密着取材。2001年のメジャーデビューから数々の大記録を打ち立てたイチローの功績を振り返り、殿堂入りに輝いた今、永久欠番となった背番号への想いなどに迫る。(第1回/全3回)
「日米通算4367安打」「年間最多262安打」「10年連続200安打」など、2019年の現役引退までメジャー史に残る偉業を数多く成し遂げ、今年1月22日、資格初年度でついに日本人初の米国野球殿堂入り。さらに背番号“51”は、マリナーズの永久欠番となることが決まり、長く栄誉が語り継がれることとなった。

殿堂入り発表からおよそ3時間後。イチローは、マリナーズの本拠地・Tモバイルパークで会見を行った。球場内では、多くのマリナーズ職員が待ち構え、祝福を受けながら会見場へ向かった。会見では“51”が永久欠番となったことが報告され、入団当初を振り返りつつ背番号“51”について思いを語った。
イチロー:当時“51”をつけることになったときに、(マリナーズにとって)特別な番号だということは認識していました。
かつて背番号“51”をつけていた伝説の左腕、ランディ・ジョンソン氏への思いを吐露。
イチロー:51番をつけた選手が、ただの普通の選手だったら、これはランディ・ジョンソンに対して申し訳が立たないし、そういう覚悟はすごくありましたね。
イチロー:この番号を汚してはいけない。51番というのは、一つ、特にシアトルにとって特別な番号であったこともあって、僕の中にはすごく重く存在していた。今日この日を迎えられたことは、言葉ではもう言い表せないほどの気持ちです。
マリナーズで活躍したイチローへ感謝「彼自身の才能によるものだ」
イチローの殿堂入りが決まった後、かつてマリナーズで同じ背番号“51番”を背負っていたランディ・ジョンソン氏(61)にインタビューを行い、メジャー通算303勝のレジェンドにイチローへの想いについて聞いた。

ランディ・ジョンソンは、1989年~1998年にマリナーズに所属。その後、ダイヤモンドバックス、ヤンキースなどで活躍し、2009年に現役を引退。サイ・ヤング賞は左腕としては歴代最多の5度受賞を誇る。2015年に殿堂入りを果たし、得票率は97.3%だった。
ランディ・ジョンソン:通常、偉大な選手の番号をつけさせないが、マリナーズはイチローに“51”を背負わせた。イチローは私の10年間の活躍を理解していたと思う。
ノーヒットノーラン、サイ・ヤング賞を球団に初めてもたらすなど、まさに“チームの顔”から“51”を引き継いだイチロー。
イチローは「(背番号)51をなんとしても平凡な数字にはできないという思いもとても強かった」とメジャーデビュー当時の重圧を振り返り、並々ならぬ覚悟で“51”を背負っていたという。
ランディ・ジョンソン:イチローがマリナーズで築いた功績は誰にもできないものだった。それは背番号に影響されず、彼自身の才能によるものだ。イチローは長い間活躍し、私の彼への感謝の気持ちが大きくなっていきました。
レジェンドもイチローの功績を称え、殿堂入りを祝福した。
激しいプレッシャーの中、イチローはその“51”を背負い、ルーキーイヤーから安打を量産。1年目はシーズン242安打をマークし、いきなり首位打者と盗塁王に輝いた。メジャー史上2人目となるリーグMVPと新人王を“ダブル受賞”。さらに2004年にはシーズン最多安打を84年ぶりに更新する262安打の新記録を打ち立て、20年を過ぎた現在もいまだ破られていない大記録となっている。