血まみれでボロボロの学生服がなぜ遺されていたのか…?
永町さんは、現在91歳。癌を患って、施設で暮らしています。
豊島長生さんの妹 永町洋子さん
「あの日はね、私はなんか頭痛がするとかなんとかで、うちにいたんです。みんな学校行ってるのに。それで母が『広島に爆弾が落ちたみたい。とにかくお兄ちゃんが心配だから行く』って言って」

母親はその日、大やけどをした長生さんを荷車に乗せて帰ってきました。でも、洋子さんが学生服の存在を知ったのは、その半世紀後。母の遺品整理をしていて茶箱の一番底で見つけました。あの日、血まみれで泥だらけだったはずの4着は、キレイに洗われ、きちんと畳まれていました。
豊島長生さんの妹 永町洋子さん
「黙って自分でしまってしまって。(Q。全然聞いた覚えはないですか?)遺品を整理して初めて知ったんです。それで母の気持ちがわかったんです」

血液の跡とみられるシミだらけのランニングは、ハサミで切り割かれていました。豊島長生さんの妹 永町洋子さん
「多分救護所で、治療するときに、これを脱がせて、それでお薬をつけて」

ズボンは、父親の服を母が仕立て直したものでした。存命中、母は一度も長男・長生さんのことを話しませんでしたが、継ぎあてた布の中には、服がバラバラにならないよう被爆後に、縫い込まれたようなものもありました。

豊島長生さんの妹 永町洋子さん
「これは、私たちに残してくれたもの。それも私だけじゃなくてみんな若い人に見てほしい、原子爆弾がどんなものかってい知らせてほしい。その悔しさを伝えたくて置いてたんじゃないですか」