逃亡生活中の大胆な行動

桐島容疑者が逃亡を始めたころ、藤沢市の鉄工所で雇ったという男性は、暴力団関係者から「内田」という名前で紹介されたという。

小村隆さん(76)
「(暴力団)組員が連れてきた。『親父、ちょっと面倒見てやってくれ』と」

3か月ほど働くと、桐島容疑者は姿を消したという。

小村隆さん
「(桐島容疑者に対し)『どっかでみたことあるな』って言ったら、『顔の似ている人はいっぱいいますよ』と。そしたら月末にいなくなった」

桐島容疑者はその後、別の工務店で約40年働いた。

職場では寡黙だったが、私生活では指名手配犯とは思えない大胆な行動をとっていたことが知人らの証言から分かった。

バブル絶頂期にはディスコで踊り、ライブを観るため東京や横浜も訪れていた。友人らとスキーやキャンプ、釣りにも出かけていたという。

桐島容疑者が25年通い続けたバーの店長が、初めてカメラの前で語った。

店長の男性
「(桐島容疑者を)『ウーヤン』という呼び方。映画の話、音楽の話で盛り上がるのが一番好きっていう感じの方でした」

店のイベントの名簿には愛称「ウーヤン」の文字も。桐島容疑者に、男性は友人として特別な絆を感じていた。

店長の男性
「自分の誕生日はちゃんと覚えててくれて、何かしら毎年持ってきてくれていました。古い映画のビデオをもらったりとか、たまたま安売りのお店行ったら僕に似合うような洋服があったとかで買ってきてくれたりとか」

常連客と場を盛り上げ、バーでは陽気な姿をみせていた。

店長の男性
「彼が大好きなミュージシャンがいて、毎日飲んでいる缶チューハイの缶をずっとためて、その中に石ころをたくさん入れてガムテープで縛って、来たお客さん全員にマラカスとして、みんなで応援してねって言って、何十個も作ってきたりとか」

2023年、桐島容疑者は男性に病気を告白した。

店長の男性
「僕には『咽頭がんだ』っていう話をされて、『しばらく飲みに行けないから』って 。その1か月後ぐらいに『もう手術をして、治ったのでまた行くね』って」

その約束が叶うことはなかった。