
■朝鮮人労働者は現在の韓国・慶尚北道出身
市民グループが墓標に刻まれた文字を調べたところ、朝鮮人労働者 呂野用さんは、朝鮮慶北大邱府(現在の韓国慶尚北道大邱)の明治町(植民地下の日本式の町名)の出身で、墓標には昭和十二年(1937年)十月九日死亡と記されています。

市民グループは、当時相次いだ黒部川のダム建設現場での事故で亡くなったとみていますが、その実態を示す史料はほとんどありません。
市民グループが墓標に刻まれた文字を調べたところ、朝鮮人労働者 呂野用さんは、朝鮮慶北大邱府(現在の韓国慶尚北道大邱)の明治町(植民地下の日本式の町名)の出身で、墓標には昭和十二年(1937年)十月九日死亡と記されています。
市民グループは、当時相次いだ黒部川のダム建設現場での事故で亡くなったとみていますが、その実態を示す史料はほとんどありません。