ロシア軍がウクライナに侵攻して24日で3年が経ちました。
家族が安曇野市出身で、旧樺太、そしてウクライナで2度の戦争に翻弄された男性が、戦争の早い終結を願い続けています。


食卓に並ぶのは、どれもウクライナで食べていた料理です。

旭川市に住む降籏英捷(ふりはた・ひでかつ)さん81歳。

降籏さんは、1歳のとき樺太=いまのロシア・サハリンで終戦を迎えました。

灯台守をしていた父・利勝(としかつ)さんと、母・ようさんは現在の安曇野市の出身です。

当時日本領だった樺太にはソ連軍が侵攻。

一家は戦後の混乱のなか、帰国できなくなり、父と母は、ふるさとへ帰ることを願いながら、現地で亡くなりました。

降籏さん:
「お母さんはソ連時代に本当に日本に帰りたがっていた。でも、それが叶わなかった」

降籏さん本人は、結婚を機にウクライナに移住。

妻と長男は亡くなりましたが、孫たちと穏やかに暮らしていました。

しかし…3年前の2月24日、ロシア軍がウクライナに侵攻。

降籏さんは、住んでいた西部のジトーミルにも戦火が広がったため、翌月、北海道に住む妹のもとに避難しました。

降籏さん:
「もしもしデニスか、やあ。(調子は)いいよ」

電話の相手は、ウクライナで暮らす孫のデニスさんです。

降籏さん:
「(雪は)うん、積もっている。きのうの夜中降った。そっちはどう?」

家族が住むジトーミルへの攻撃は落ち着いていますが、時々、停電があり、デニスさんは、バッテリーから給電できる装置を自分で作って備えています。

デニスさんには2人の子どもがいて、春には、降籏さんにとって、もう一人ひ孫が生まれる予定です。

降籏英捷さん:
「今年の春、男の子が産まれることになってるので、ウクライナにひ孫を見に行きたいです、もう1回、親戚にも会いたいし、妻と息子の墓にも行きたい」

侵攻から3年。

2月に入り、アメリカとロシアのあいだで戦闘終結に向けた協議が始まりましたが、ウクライナ側は「ウクライナ抜きでの協議は受け入れられない」と懸念を示しています。

降籏さん:
「私にとって平和とは、戦争がなく、頭の上には平和な空があり、外に出ても怖くない、家族一緒に何も恐れずに、出かけられる世界ですよね」

ウクライナに平和な空が戻るのはいつになるのか。

降籏さんは、その日を願いながら、情勢の行方を見つめています。