プラザハウスの創業は沖縄がアメリカの統治下にあった1954年。ライカムにあった琉球米軍司令部の将校や司令官、その家族のためのショッピングセンターとして開業しました。

その後、地元沖縄の人々にも門戸が開かれ、特に経済的に豊かな沖縄マダムたちで賑わい、流行の発信地としての地位を確立します。沖縄の本土復帰後は、日本にいながら海外の商品が安く手に入る、沖縄観光ショッピングのパイオニア的存在になりました。

しかし、2004年那覇市に大型免税店が進出。その約10年後に、目と鼻の先にイオンモール沖縄ライカムが開業。相次ぐライバル店の誕生によって、プラザハウスは危機を迎えます。

▼プラザハウス 平良由乃 社長「アーメンって感じ。もしかしたらもう沖縄中の皆さまがプラザハウスはもうおしまいかなって思われたんじゃないかなと思うくらい、戦々恐々でした。お隣さんにはすべてあるけど、ここにしかないものはなんだろうっていう探り合いがはじまったと思います」

プラザハウス 平良由乃 社長


どのように差別化を図るか。取材を通して見えてきたのは、商品に対するこだわりでした。直営店に並ぶ商品の約8割はフランスなどの現地で直接買い付け。目で見て確かめた品々を仕入れています。また、店員は常連の好みや人柄を把握していて、顧客の顔を思い浮かべながら商品を選んでいるそうです。

――ぱっと思いつく常連客は何人?
▼プラザハウス 平良杏子 さん「何十人もいますよ。しばらく顔が見えなかったら元気かな~って思いながら。作り手の顔が見える、お店に立ってお客様の顔が見える。両方の顔が見えるので、すごく貴重な仕事をしているなってつくづく感じます」

プラザハウス 平良杏子 さん

▼30年来の常連客「スタッフも30年近くここにいて、皆さんが私たちを知っている。とても距離が近いので毎回来るのが楽しみです。」

▼親子二代で通う常連客「おしゃれなものも、おいしいものもあるので、ずっとずっとあり続けてほしい」

アメリカ世から始まったプラザハウス。世界と沖縄を繋ぐ架け橋として、今も昔も愛されています。

▼プラザハウス 平良由乃 社長「買うまでいかなくても自分の審美眼を育てるような利用の仕方。私たちも皆さんが来やすくするためのイベントやアプローチをこれから頑張っていきたいと思うので、ぜひ遊びにきてほしいなって思います」

沖縄市のプラザハウスを訪ねると歴史と共に地域に寄り添い続ける人々の姿がありました。