18日の午後1時より、港区の増上寺で、昨年11月に76歳で亡くなった俳優の西田敏行さんのお別れの会が営まれました。会に際して、松崎しげるさんが弔辞を述べました。

西田敏行さん



===松崎しげるさん 弔辞 全文===

西やん!来たよ!あんた、あんまルールが好きじゃ無かったから、今回も野面で来ました。

初めて会ったあの日のこと、良く覚えています。ビーチサンダル、短パン、僕も同じような格好してました。

松崎しげるさん

飲んで、飲んで、飲んで、遊んで、遊んで、遊んで、そんな毎日が二人に続きました。ある時、あんたが僕のステージにあがってきて、即興の歌を、そう、それが六本木では有名になりました。

「豚とゴボウ」そう、グループ名が無かったんです。あっという間にあの六本木の噂になりました。あんたは毎日のように僕のやっているステージに来ましたね。そりゃ何故か?家賃も払えない、電気も止められた、ここへ来りゃ従業員の賄いも食べられる、お酒も飲み放題、そして、モデルさんがやってる、そんな場所だから、いい女がいっぱいいる、三拍子揃ってるじゃん。でも、あっという間に、僕たちは、忘れもしない、1977年、あなたは西田敏行、森繁久彌さんにアドリブで返せる男。それで一躍有名になりました。その1977年、「愛のメモリー」が売れたとき、あなたは狂喜乱舞、僕に思いっきりハグをし、両頬に何度もキスをしました。そう、レコード大賞、紅白歌合戦、あんたこんなこと言いました、僕に頼み事をするときは「ちゃん」付けします。「まっちゃん、ちょっと頼み事があるんだ、レコード大賞と紅白歌合戦、俺の子どもの頃からの夢だったんだ、叶えてくれ、一緒に連れてってくれ!」そう、「まつ、頑張れ」その一言を言うために、朝から晩まで一緒でしたね。

松崎しげるさん

そして、お正月もずっと一緒、何しろ仕事以外はいつも一緒の二人でした。あなたは褒められることが大好きな人間。亡くなる十日前に、僕ら、飲みました。飲んだ、久々に。その時に、大谷翔平はすげえなあ、すごい記録だなあ、カッコイイなあ

でも西やん、あんたも記録ずくめですごいぜ。大河ドラマの主役、最多記録だってさ、あの記録は、破れそうにないって、顔をクシャクシャにして、そうか、そうか、あの腰が曲がった、あの体が、どんどんどんどん胸をはって、お酒の量も・・・

それからもうひとつ、紅白歌合戦、あの応援に来てから、あなたは自分で歌い、司会をし、審査員をやり、俺にこんなことを言いました、「まつ、お前よ、俺は紅白を網羅した、ははは、出来るかお前によ」そんな言葉を・・・

松崎しげるさん



あなたは本当に素晴らしい、様々なことを成し遂げた記録保持者です。
「人生に楽園はある」その言葉、きっと、天国でなく、地獄でなく、あなたは楽園に行っています。

まだ、「さようなら」が言えてません。言うつもりもないよ。
いつも一緒でした。帰る間際、「またな。」「うん、またな。」
楽園で会いましょう。

西田敏行、本当に僕の青春を一緒にたたかってくれた、素晴らしい友達だ。ありがとう。また会いましょう。

===全文 以上===



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