ファジアーノ岡山、J1開幕戦がいよいよ15日(土)に迫ってきました。このチームを長年に渡って支え、見守ってきたのは、オーナーの木村正明さんです。クラブの礎を築いた木村さんに、これまでの苦難の道のり、そしてJ1にかける思いを聞きました。

1千万円もの負債を抱えたファジアーノ なぜ引き受けたのか

(ファジアーノ岡山 木村正明オーナー)
「J1は景色が全然違います。サポーターの数もそうですし、ユニフォームを着た人たちが街に溢れかえると思うんですね。『なんだこれは』、となると思うんですね、岡山は十分にJ1で戦えますから、早く開幕戦が来ないかなって思っています」

昨年、クラブ創設20年目にして悲願のJ1昇格を決めたファジアーノ岡山。15日のJ1開幕戦を心待ちにしている一人が、クラブの礎を築いたオーナーの木村正明さんです。

(木村正明オーナー)
「このクラブは自分の子どものような存在でもあるし、自分の人生なので」

木村さんは、ファジアーノといつどのように出会ったのでしょうか。岡山市出身の木村さん。進学した岡山大学教育学部附属中学校に野球部がなかったため、仕方なく入ったというのがサッカー部でした。

いつしか、その魅力に引き込まれ、岡山朝日高校、東京大学でもサッカーを続けたといいます。大学卒業後はアメリカの証券会社・ゴールドマン・サックスに入社。執行役員にまでなりますが、37歳の時に転機が訪れます。

当時アマチュアクラブで1千万円もの負債を抱えていたファジアーノ。その運営に携わっていた中学校の同級生から立て直しを頼まれたのです。「故郷に恩返しがしたい…」、そんな思いからチームの立て直しを決意しました。

(木村正明オーナー)
「自分は父親が早く死んじゃって、事業もしていたので、家に借金も残っていて、中学校の同級生のご両親たちが経済的に援助して下さって、兄弟3人とも大学を出ることが出来た」

「母親からは『絶対に故郷に恩返しをしてほしい』とずっと言われていて、ここが恩返しのタイミングなんじゃないかと思ったのと、もう一つは、隣、広島も神戸も、サッカーや野球のチームがあるじゃないですか。岡山は何もないから。岡山の看板を背負ったチームが出来てほしいというのが自分の中にずっとあったので」

(2006年 運営会社設立会見)
「Jリーグが街にある地域、とても元気だと思うんですね」

岡山に戻った木村さんは、クラブを立て直すため、運営組織を株式会社化し初代社長に就任しました。そして「4部リーグから1部リーグへの昇格」を目標に掲げスポンサーを探したものの…難航します。

(木村正明オーナー)
「最初は何か企らんでいるんじゃないかとみなさん思っていたみたいで、岡山からプロって当時、誰も信じなかったし、なんでスポンサーとかせんといかんのんみたいな感じ」

入場料・収入もない中で木村さんはやむなく会社の退職金を運営にあてたといいます。

(木村正明オーナー)
「練習のためにグラウンドを借りるお金とか。毎月数百万円。自分で払うしかないという。通帳残高がどんどん減っていくので、怖かったです。逃げ出したかった時もあったんですけど、そんな状況ではないので、やるしかないから」