TBSテレビでは「春の皇室スペシャル プリンセス愛子さま“初めてづくし”の1年」という番組を制作中です。大学卒業、そして日本赤十字社への就職等々、この一年さまざまな「初めて」の体験をされた天皇皇后両陛下の長女・愛子さまのエピソードを軸に構成する番組となります。
初めてのお一人での地方公務で「佐賀の賢人」とご対面

愛子さまは2024年10月、初めてのお一人での地方公務で佐賀県を訪問されました。主たる目的は国民スポーツ大会の視察でしたが、佐賀では就職先の日本赤十字社の創設者と時空を超えた対面もされたのです。
舞台となったのは佐賀城の本丸歴史館。そこでご覧になった寸劇の主人公が、「佐賀の七賢人」の一人である佐野常民でした(「佐賀の七賢人」とは、幕末から明治にかけて活躍した佐賀出身の七人=鍋島直正、島義勇、佐野常民、副島種臣、大木喬任、江藤新平、大隈重信のことです)。

佐野常民は、明治維新の原動力になった薩長土肥のひとつ、肥前・佐賀藩の藩士で緒方洪庵の開いた大阪・適塾に学びました。時代に先駆けて西洋学問を対象とした適塾は福沢諭吉、大村益次郎など多くの俊才を輩出した名門です。さらに幕府が近代的な海軍創設のために作った長崎海軍伝習所にも派遣され、ここにはあの勝海舟も参加していました。
その後、佐野常民はのちに世界遺産になる「三重津海軍所(みえつかいぐんしょ)」の監督になります。これは佐賀藩が近代的な造船・修理のために作った施設で、2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」のひとつとして世界遺産になっています。当時の佐賀藩は積極的に西洋の科学・技術を導入して日本の近代化をリードしており、その中核のひとりが佐野常民だったわけです。

さらに1867年、佐野はパリで開催された万博にも佐賀藩使節団の団長として派遣されています。幕府、薩摩藩と並んで使節団を送った佐賀藩の狙いは、特産の伊万里焼などの売り込みと、西洋文化の吸収でした。ここで佐野は「赤十字社」の活動を知り、帰国して「博愛社」を創設。それが明治になって日本赤十字社と改称し、佐野は初代社長になったのです。