戦後は大きな道路など誕生し…人の行き来は減少

「飯田街道」が通る東区には寺院が多く集まっているエリアがあり、「江戸時代、清洲城から名古屋城を中心にするときに、清州の人や寺を全部名古屋城下に移動させた」と道マニア。
そのお寺を目当てに、当時は多くの参拝客で賑わっていました。
しかし、戦後の復興や都市化で大きな道路が誕生していく中、徐々に人の行き来は減っていったと言います。
また、「飯田街道」は終戦直後まで馬車が走っており、かつては馬による輸送が頻繁に行われることから、「中馬街道」とも呼ばれていたそう。
物流による経済の促進に大きく貢献。
さらに明治時代には、街道上に「愛知馬車鉄道」が開通。その後は路面電車へと姿を変え、人々の生活を支え続けました。














