阪神・淡路大震災から17日で30年。死者6434人という未曾有の災害ですが、震災の後遺症に苦しむ「震災障害者」と言われる人たちの存在はあまり知られていません。地震大国の日本ですが、取材した震災障害者の一人は「あすは我が身と思って私たちの存在を知ってほしい」と訴えています。
「挟まれて痛いっていう感覚すらもなかった」30年も後遺症に悩まされ続ける

1995年1月17日の早朝、阪神・淡路大震災が起こりました。
当時のニュース映像
「見渡すかぎり、右も左も、焼け野原というような感じになっています」
「橋げたが完全に落ちてしまって、バスが本当にギリギリのところに止まっている」
高速道路の倒壊のほか、住宅にも甚大な被害をもたらし、犠牲者の8割近くが家屋や家具の倒壊による圧死・窒息死でした。
倒れた建物の中で生き埋めになった人も多くいて、懸命な救助活動が連日続けられました。
しかし、救出された人の中には、その後、重篤な後遺症に悩まされる人も少なくありません。

神戸市で被災した馬場覚さん(52)は、自宅アパートが全壊し、倒れてきた家の梁などに脚を挟まれ、身動きがとれなくなったといいます。
神戸市で被災 馬場覚さん
「全く何が起こってるのか、わからない状態でした。挟まれて痛いっていう感覚すらもなかったですね。どっちかというと何の感覚もなかった。麻痺していたのかもしれない」
6時間もの間、圧迫され続けた両脚の筋肉は膝から下が壊死し、「クラッシュシンドローム」と診断され、筋肉の切除を余儀なくされました。
馬場さんは、つま先を上に向ける動きができなくなり、今も足首を装具で固定しないとうまく歩くことができません。

馬場覚さん
「冬とか、前日よりも急激に気温が落ちると、もう明らかに硬直しちゃってるんで歩くときにしんどい。ずっと立ち仕事をしていて、足が重たい状態があると思う。あの状態がずっと続いているような状態」














