8歳の時に負った「心の傷」それが運動の原点
終戦翌年に撮影された広島市の映像です。

木村さんの人生が変わったのは、1945年8月6日のこと。アメリカ軍が広島市に原爆を投下、その3日後には長崎市にも原爆を投下しました。木村さんは父や祖父ら家族と親族あわせて8人を亡くしました。

被団協代表理事 木村緋紗子さん(2021年取材):
「私の心は傷つけられた。8歳のときに負った傷がずっと、この運動につながっている」

木村さん自らが描いた熱線で焼かれた祖父の絵です。

3年前には、広島市の高校生が木村さんに話を聞きながら祖父を看病する絵を新たに作成しました。若い世代とも交流しながら核兵器廃絶に向けた運動を続けてきました。

授賞式前に、木村さんが持つパネルには、亡くなった「先人たち」の顔が。
被団協代表理事 木村緋紗子さん:
「この人は私について運転をしてくれた人。30年くらい。この人は被団協の前事務局長。この人たちも私と一緒に一生懸命やった人。核兵器廃絶、戦争はしないでということを引き継いできた。先人たちの思いを絶対に忘れないで、授賞式に臨む」