インタビュー「この人に聞く」。今回は、枕崎市に本社のある薩摩酒造の7代目社長・吉元義久さんです。

ことし8月に初めて創業家以外から社長に就任しました。焼酎市場が縮小する中、「攻め」の姿勢で新たな分野への挑戦を始めています。

焼酎について熱く語る薩摩酒造の7代目社長・吉元義久さん、鹿児島市出身の62歳です。鶴丸高校から、九州大学を卒業し、1986年に、飲料大手のサッポロビールに入社しました。

サッポロビールでは、飲料水などをボトルに詰める際の作業効率・商品ロスの改善や、商品開発などに携わり、上席執行役員千葉工場長を最後に退職。

技術者としての手腕を買われ、4年前、薩摩酒造に入社しました。

(薩摩酒造 吉元義久社長)「サッポロビールに勤めている時から年に1~2回は鹿児島に帰り、高校の友人などと飲むなどしていたので、鹿児島がいいなとずっと思っていた。退職後は戻ろうと考えていた」

入社後は、製造ラインの見直しに着手するなど業務改善に取り組んできました。そして製造本部長や副社長を経て、ことし8月、7代目の社長に就任。

薩摩酒造の89年の歴史の中で、創業家の本坊家以外から社長が誕生したのは初めてです。

(薩摩酒造 吉元義久社長)「もちろんプレッシャーはある。でも、鹿児島に戻ってきて焼酎業界で働いて、(薩摩酒造の社長の)仕事を担わせていただけることはある意味、幸せなこと」

吉元さんが社長就任前から特に力を入れたのが、今年7月に全国販売した新商品「彩響」。

青りんごのようなさわやかな香りなどが特徴のいわゆる「香り系焼酎」です。

(薩摩酒造 吉元義久社長)「昔ながらの焼酎に飲む範囲を広げていっていただけたら、うれしい」

従業員200人を超える薩摩酒造のリーダーとして、吉元さんが自身に課すのは、安定した経営基盤・顧客の求める商品の提供・地域貢献の3つです。

(薩摩酒造 吉元義久社長)「私の一番の役割は、その先頭に立って変革を引っ張っていくことだと考えている。お客様満足・会社の成長・従業員満足の3つが三位一体となってサイクルを回すことで、そのひとつひとつを大きくしていき、会社が成長していく、そうなればいい」

吉元イズムは、この春、入社したばかりの社員にも浸透しています。

(入社1年目)「(吉元社長は)製造部だったので、すごく数字にも厳しい。でも、お客さんの思いを大事にしていくという考えも両方を持ち合わせている方」

(入社1年目)「今は勉強をしていく時だよって。早く独り立ちして自分で仕事を回していると思えたら楽しいよねって、そのように言っていただいた」

焼酎を取り巻く環境は厳しく、県内の本格焼酎の出荷量は11年連続で減少。若者のアルコール離れ、コロナ禍での外食需要の減少などが響いているとみられます。

この厳しい経営環境の中、吉元さんは攻めの一手に出ました。

(薩摩酒造 吉元義久社長)「モルトウイスキーを造る施設」

新たに取り組んでいるのが、焼酎づくりの技術を応用したウイスキーの製造です。

ジャパニーズウイスキーの輸出額は近年、増加傾向にあり、去年の輸出額は10年前の12倍以上の500億円を超え、市場は今後も拡大するとみられています。

枕崎市の火の神蒸溜所に、巨大な製造施設2つを新設。ただ、ジャパニーズウイスキーは、3年以上樽で貯蔵させる必要があり、初出荷までは、あと2年かかります。

(薩摩酒造 吉元義久社長)
「ウイスキーは非常に寝かせる時間も長いし、夢のある飲み物だと思う」

「品質の悪いものを出してしまうと市場やコアなお客さんはすぐに見抜いてしまう、最初はしっかりとした品質の商品を出すことが大事」

これまでの社長同様、本業の焼酎造りも、新たな分野のウイスキー製造も、モノづくりに込める思いは同じという吉元さん。老舗の新たなかじ取り役として手腕が注目されます。

(薩摩酒造 吉元義久社長)「鹿児島の焼酎業界に貢献したい、薩摩酒造なので枕崎に貢献したいという思い」

「経験したいろいろなことを会社に還元して、会社の将来のためになればいい」