10回も挑んだ養成所の試験…きっかけは父親に連れられて…
ボートレーサーに憧れを抱いたのは、小学3年生の時。父親と見たレースがきっかけでした。
塩嶋選手「(ボートレースの魅力は)6艇が一斉に1つのターンマークに向かって競争していく姿が迫力があって、そのときに感動して」
少年が漠然と抱いていた憧れは、高校生のときに明確な目標へと変わります。

塩嶋選手「きっかけでもあるし選手としても尊敬している(高校の先輩の)為本智也選手に憧れを抱いて自分も目指した」
しかし、ボートレーサーへの道は決して簡単なものではありませんでした。学科や体力測定、適性検査などが行われる養成所に入るための試験では9回不合格に。倍率20倍の険しい関門を突破したのは、受験を始めて5年目、22歳で臨んだ10回目の挑戦でした。
塩嶋選手「最後の8回目9回目からは学習塾に通ったりして中学生高校生と一緒に一般教養を勉強して。もう何回でも30歳まで試験が受けられたので、とにかく諦めずに何回でも受けようと思った」
Q.30歳までやってやろうと?
塩嶋選手「もう意地でしたねここまで来たら」
辛抱強く努力を重ねて手繰り寄せた夢。養成所修了式での塩嶋選手は「塩嶋泰空!これまで支えてくださった方々に感謝の気持ちを込めて走ります!」と宣言していました。
デビュー戦が迫った10月末。塩嶋選手はボートの細かな動作や、水面での感覚を丁寧に確かめていました。

塩嶋選手「置いて行かれないように自分の精一杯のターンをしてレースに参加して、今まで自分がやってきたことを全力で出しきれたらいいなと」
そして、デビュー戦当日。「きのうはしっかり眠れました」と話す塩嶋選手。夢の舞台への第一歩です。