日本被団協のノーベル平和賞決定で改めて注目されているのが、次の世代に、被爆の体験を受け継いでいくかです。広島の被爆者で、長年サンデーモーニングのご意見番を務めた張本勲さん(84)が、その思いを語ってくれました。
張本さんの家は爆心地からわずか2キロあまり 母の洋服は真っ赤に…
10月14日、オバマ元大統領はSNSに次のような投稿をしました。
「悲劇から力強い運動を築き上げた」
現職のアメリカ大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏は、核廃絶を訴えてきた日本被団協のノーベル平和賞決定を讃えたのです。
この受賞決定を受け、これまで自らの被爆体験について多くを語ってこなかった野球評論家の張本勲さんが、重い口を開いてくれました。
野球評論家 張本勲さん(84)
「ほっとしましたね。感謝してますよ。だけど、もう少し早くもらいたかったですね。亡くなった先人たちにも聞かせてやりたかったです」
張本さんは1940年、広島市生まれ。母親は女手一つで4人の子どもを育てていました。そして、張本さんが5歳のとき…

野球評論家 張本勲さん(84)
「友達と遊ぶために(家を)出ようとした。ばあっと光ってドン、いわゆるピカドン。『なんかな?』と思ったら、お袋が(私と姉に)被さって私たちを助けてくれた。白い洋服でしたから、真っ赤に…。ガラスの破片とかが刺さって、血がにじんでいた」
自宅の玄関先で浴びた閃光。張本さんの家は爆心地からわずか2キロあまりの場所でしたが、間に山があったことが幸いしたといいます。それでも、外に出た張本さんが見たものは…
野球評論家 張本勲さん(84)
「大きな声で叫ぶ人。苦しいから、熱い、痛いってね。それで私らの前を走って行く人。近くにドブ川があったんですよ。熱いからそこへ飛び込むんですね。みんな亡くなるんですよ」
このとき、勤労奉仕に出ていた6歳上の姉・点子さんが犠牲になったのです。














