被爆者の訴えは海を越えて

原爆投下から10年が経った1955年、第一回原水爆禁止世界大会が広島市で開かれ、被爆者の思いが初めて世界に向けて発信されました。
この翌年、被爆者団体の全国組織日本被団協が結成されました。被爆者の援護と共に、核兵器の廃絶を、国内外へ訴えていきます。
1982年、アメリカ・ニューヨークで開かれた国連軍縮会議でスピーチした、長崎で被爆した山口仙二さんは「ノーモア ヒロシマ、ノーモア ナガサキ、ノーモア ウォー」と叫びました。
軍拡競争で、各国が核実験を繰り返すたび、広島市の平和公園にある原爆慰霊碑の前で座り込み、抗議活動を行ってきた森滝さん。1993年7月、森滝さんにとって最後の座り込みとなったときには、こう語っていました。
森滝市郎さん(当時92歳)
「核はいっこうに無くならない。じゃ絶望するかというと、絶望するわけにもいかない。核がある限り、我々の運動というものはどうしても続けられなければいけない」
2021年に96歳でなくなった坪井直さんも海を渡り、核兵器廃絶を訴え続けました。
坪井直さん(2005年 アメリカ・ニューヨークで開かれた集会で)
「原爆の最大の被害は、たとえ生き残っても、精神的身体的な人間破壊が生涯続くことだ」
こうした活動が評価され、ことしのノーベル平和賞に日本被団協が選ばれました。














