過去に、不発弾が見つかってるという宮崎空港ですが、もともとは、戦時中、旧日本海軍の航空基地があった場所に建設されています。
その歴史的な背景について専門家に聞きました。
太平洋戦争中の1943年、宮崎空港は、旧日本海軍の航空基地として建設されました。
宮崎空港の歴史について、宮崎市の戦史研究家、稲田哲也さんは
(戦史研究家 稲田哲也さん)
「(宮崎空港は)1943年に、大型機のパイロットを養成するための訓練基地として基地が作られました。その後、すぐ、戦局の方は悪化の一途たどって、戦争が終わる年、1945年には3月18日にも初空襲が行われたり、前後して特攻隊が出撃したりして、終戦まで米軍からかなり激しい爆撃を受けています」
稲田さんによりますと、当時は九州南部の主要な基地だったため、米軍から1000発以上の爆弾が投下されたとみられるということです。
(戦史研究家 稲田哲也さん)
「確率の問題だと、戦時中に数百発落とされた、1000発以上落ちているはずだが、(今回の不発弾は)そういった軍事目的の爆弾、アメリカが空襲で落としたとした爆弾の可能性が非常に高い」
(二宮辰明さん・83歳)
「宮崎市内が空襲に遭って燃えたのを覚えている」
宮崎市で生まれ育った二宮辰明さん、83歳。
今回の爆発を受け、戦時中、空襲を受けたこと、さらに、終戦後空港で不発弾の処理していた音が市の中心部まで響いていたことを思い出したといいます。
(二宮辰明さん)
「まぁ~、びっくりしました。今頃、まだ不発弾が破裂するのだろうかと思いました。(戦後は)不発弾を集めて爆発させたのが1個、2個じゃないから、すごい音がしていた。爆発した音『ドーン!』という音」
過去に何度も発見されている不発弾。戦争の影響は現代まで続いています。
宮崎空港では、3日の再開を目指し、作業が続いています。
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