「被爆体験者」と呼ばれて被爆者とは区別されている人達が長崎にいます。被爆者としての認定を求めて17年。9月9日、裁判の判決が言い渡されます。なぜ被爆体験者と呼ばれているのか。「埋もれた被爆者」とも言われる被爆体験者の問題に迫ります。

「私たちは『被爆者』ではないのか」 岸田総理「合理的に解決」も…

長崎に原爆が投下されてから79年の2024年8月9日。毎年この日に行われている、被爆者団体から総理大臣への要望の席に、被爆者とは認められていない人たちが初めて出席しました。

「被爆体験者」と国が名付けた人たちです。

被爆体験者 岩永千代子さん(88)
「総理にぜひ見ていただきたい絵を持ってまいりました。鈴木さん達が描いた絵です。空が暗くなり太陽は真っ赤。家族の中に甲状腺がんや白血病などが現れるようになったなどの多数の証言があります。これが現実です。総理に申し上げます。私たちは『被爆者』ではないのでしょうか?

1945年、アメリカ軍が長崎市に投下した原子爆弾。強烈な熱線・爆風・放射線によって、その年だけで7万4000人が死亡しました。

国は原爆の影響を認める半径5キロを基本に当時の長崎市を被爆地域に指定。「被爆体験者」はその周辺、爆心地から12キロ圏内の被爆未指定地域にいた人たちのことで、原爆の影響はないとされています。

しかし広島では、被爆地域の外で「黒い雨」を浴びた人たちが裁判の判決を機に、2年前から被爆者と認められるようになったのです。

菅義偉総理(当時)2021年7月
「上告についてはしないことといたしました」

2021年に確定した広島高裁判決。「黒い雨」に含まれた放射性微粒子による内部被ばくの可能性を認めた画期的な判決でした。

判決を受け入れた国は、新たな基準を作り、遠くは爆心地から40キロまで「黒い雨」が降った地域にいた6000人以上を被爆者と認めました。

しかし救済したのは広島だけ。

面会の席で、長崎の被爆体験者は「同じような状況だった自分たちを被爆者と認めないのは憲法違反だ」と訴えました。

岸田総理大臣
「政府として早急に課題を合理的に解決できるよう指示をいたします」

「被爆者と認める」とは言わなかった岸田総理。

全国被爆体験者協議会・相談役 平野伸人さん
「総理…被爆体験者は被爆者でしょ、被爆体験者は被爆者じゃないんですか?これを見て下さい。被爆者かどうか言ってください。被爆体験者は被爆者じゃないんですか?岩永さんの声が聞こえないんですか?」

岸田総理
「一生懸命やりますので」

この5日後、岸田総理は突如、退陣を表明。救済の行方は不透明になりました。