今井記者
「恩納村といえばリゾートのイメージですが、ここ国道58号を少し中に入っていくと、どこか郷愁を誘う田園風景が広がっているんです!」


恩納村の東側に位置する安富祖。人口およそ500人の集落で、20人ほどが米作りを行っています。

「こんにちは、今は何をされているんですか」
「欠株の苗をいま植えているところです」

生まれも育ちも恩納村安富祖の金城啓(けい)さん。高校の校長を務めあげた後、
本格的に農業をはじめました。この日は、農家仲間の當山さんに手伝ってもらって田植えの際に隙間が出来てしまった“欠株”を補完するための作業を行いました。

安富祖の米作りの歴史は古く、琉球王朝時代から続いてきたといいます。その理由が―。


米農家 金城啓さん
「まずあれが恩納岳なんですね。山からの恵があって。水が豊かだからこそ、水田が出来たんじゃないでしょうかね」

恩納岳に降り注いだ雨が、豊富に流れ込んでくる好立地が安富祖が米どころたるゆえんです。

米農家 金城啓さん
「食べやすいっていうのと、みんな好きだから。卵もほら自家製だし」

農作業に欠かせないのが昼ごはん。金城さんの妻・絹子さんが作るのは、孫から圧倒的支持を集めるというポークたまごおにぎり。安富祖の米=あふそ米は、冷めても味が損なわれないのが特徴でおにぎりやお弁当との相性抜群なんです。

もう一品は、練ウメに、油ミソ、キビ砂糖、そしてシーチキンを絹子さん独自の比率で混ぜ込んだ梅おにぎり。

今井記者
「さっそくいただきます。んん、甘さのある米がちょっと塩分のあるポークと玉子を包み込んで、バランスが絶妙ですね。噛んでいくうちにあま味が出てくる」

兼業農家 當山謙さん
「結構、味があるよね」
「美味しい。孫が高校生になるんだけど、おにぎり2合持っていくんです」

當山さんの本業は電気工事会社の経営ですが、親戚が手放そうとしていた水田を継いで、
兼業農家になったといいます。


兼業農家 當山謙さん
「実際、農業だけでは食えないですよ。それで兼業でやっている状態ですけど。小さい頃から親父の手伝いでやっていて。こういう風景が馴染んでいるじゃないですか。それでこれがなくなって休耕地が多くなるとちょっと寂しいなと」

米農家 金城啓さん
もとの姿を見て来た人間からすると、(景色が変わると)寂しく思うんですよ。ぺんぺん草をはやさない様に、土地を大事にしたい」

2人が米作りをする原動力の一つが、水田の奥に恩納岳をのぞむ故郷の景色を残すことでした。

「こちらですね。護郷隊の碑」

故郷の景色が過去に一度、失われかけた出来事がありました。

沖縄戦当時、北部の山岳地帯ではゲリラ戦が展開。恩納岳も激戦地の一つで14歳から18歳の少年らおよそ1000人から構成された「護郷隊」が拠点として闘い、多くの少年兵が命を落としています。


安富祖集落一帯も破壊され、兵隊や疎開者に限りある食料を提供する中で、貯蔵していた米作り用の種、種もみまでも分け合いました。

戦後、米作りは出来ない状況でしたが、伊是名や伊平屋村民との交流で譲り受けたもみを集落で育て、分け合って、今に繋げて来ました。


米農家 金城啓さん
「命どぅ宝。みんなで共存共栄していこうというのが、私自身(先人たちを)誇りに思います」

恩納村安富祖を訪ねると、琉球王朝時代から育まれてきた美味しいお米と、故郷を思う住民らが引き継いできた田園風景がありました。