火傷した女性の腕にガーゼを当てて治療を行う医師や看護師…。男の子の顔に包帯を巻く看護学生…。原爆投下の約2か月後、日本映画社が撮影した広島赤十字・原爆病院の様子が収められています。
今年のノーベル平和賞に核兵器廃絶を訴え続ける「日本被団協」が選ばれ、その授賞式が10日、ノルウェー・オスロで開かれます。核兵器が使用されたらどうなるののか。人類史上初の惨禍で懸命に人々の命を救おうと奔走した人々の記録です。
1939年に開院した日本赤十字社広島支部病院には、救護に当たる看護師を養成する部門も開設され、多くの学生が学んでいました。

1945年8月6日。一発の原子爆弾により爆心地から1・5キロほどの場所にあった病院は壊滅的な被害を受けました。入院患者にも死傷者が出たほか病院職員や看護学生など554人のうち51人が殉職…。250人が重軽傷を負いました。
しかし鉄筋コンクリート造りの本館の建物だけは倒壊をまぬがれ、数千人もの負傷者がここを目指し、殺到したといいます。














